いぬのこころ

おとなもこどももどうぶつも。

発達障害が引き起こす人生の苦難にあわないため、小さな芽に気づく。

仕事の関係で、

発達障害のある子供たちとすごすことが多い。

 

具体的には、特別支援学級にいる子供たちや、

それに順ずる支援を受けている子供たちである。

 

実は今年になってから、仕事とは関係なく、

統合失調症を中心とする方々の施設でかなりの時間をすごすこととなった。

 

病院ではなく、いわゆる就労施設なので、

そこまで自力で来れている人であり、

状態は非常に悪いわけではない。

 

年齢は、10代~60代までで、

経歴もさまざまだが、話を聞いてみると

驚くほど高学歴の人が多く、大学生までは普通に過ごしてきた人がいたり、

その一方で、小学校や中学校のときにいじめにあって、

それから精神障害を発症しはじめたという人も多かった。

いじめにあった理由についてもたずねてみたが、

俗に言う「きまじめ」でそのために「要領よく立ち回れない」

という人が多い。

 

きまじめさの根本に発達障害によるものがある場合も多いようだった。

学術的なことや医学的なことはプロではないが、

小学校・中学校などの時期に精神障害の芽があるということは

珍しくはないのに、この時期にうまく対応してあげられなかったことが

そこから何十年も続く人生の中で、ずっとそのやっかいな精神障害

つきあわなくてはならないということが多いようだ。

 

大人の発達障害という言葉が最近はやりで、

発達障害」というワードをつければテレビの視聴率も上がり、

本もバカ売れするらしい。

 

最近テレビで

「その人が発達障害だとわかっていれば周りの人も対応が違っていただろう」

というコメントをしている司会者がいたが、

周りの、それも家族やそれと同等の人以外に

「わたし、発達障害なんですよ。」

という人がいるのだろうかと疑問を感じた。

 

発達障害かも。と思っても本人には聞けないのが現実だし、

その人について、だれかに「あの人発達障害じゃない?」なんていえるわけもない。

 

ワードだけが先に駆け足で走って行ってしまっている状態なのだ。

 

子供のうちから、もしかしてというときに、

学校・家庭などがしっかりと対応できるようになっていれば、

大人になって社会にでてから、あるいは結婚してから苦しむ人は減るだろうし、

さらには、そのためにうけたいじめが原因で、

うつ病やそれ以外の精神疾患になる人はきっと減るはずである。

 

まさかうちの子供がと親は思うだろうし、

私もきっとそう思うだろう。

 

けれど、あれ?と思ったときにしっかりとケアできる社会が育つことが

きっと日本の精神障害者を減らす一番の方法だと思う。

 

現在、政府は精神障害者を病院に長期間閉じ込めるのではなく、

社会の中でともに暮らすようにしましょう。という方向を打ち出している。

 

しかしそれは、長期入院している患者や地域にいる大人の患者を

中心としたもので、子供たちはあまり対象とはされていない。

 

理想論を言うのは簡単であるが、

これまで何百年も続いてきた精神障害者に対する対応を

ほいほいとよい方向にできるものでもない。

 

小さな芽が一生苦しむものになる前に、

もっとできることからはじめる必要があるのではないだろうか。