いぬのこころ

おとなもこどももどうぶつも。

小泉今日子 という生き方

小泉今日子さんのさまざまな略歴や、

いま話題となっていることの内容は誰もがご存知だろうから省略する。

 

今回のことを、

 

小泉今日子らしい。

さすがキョンキョン

いさぎいい。

なんか覚悟が感じられる。

カッコいい。

 

と持ち上げる方向に若干シフトしつつあるように思う。

 

やったことが正しいとか正しくないとか、

そんなことは人それぞれ感じ方の違いもあるだろう。

 

しかし、なんとなくマスコミ報道やネットの方向性が

いつしか同じ方向に誘導されて、

それが一番の正論 あるいは多数派というふうにもって行かれるのが

とてもいやだ。

 

それはたしかに、小泉今日子という人間の生き方であることは間違いないが、

それを論じる人は必要ないし、

どこかに着地点をきめなければならないことでもない。

 

夫のある人と恋愛することは

非難されることであろうし、法律上は加害者側となる。

しかし、多くの人間の中には、あっち側になる人、こっち側になる人が必ずいて、

小泉今日子ただひとりがその立場にいるわけじゃない。

 

同じような境遇にいる人がすべて

小泉今日子と同じではないし、

全員が全員違って当たり前。

 

なのに、なるほど小泉今日子は正論。

なんとなく理解できる的な着地点をつくろうとするのはおかしくないか。

 

という話である。