いぬのこころ

こどももおとなもみんな成長しよう。

おっけーバブリー!! バブルの時代の就職活動話

何の役にも立たない駄文である。

就職活動中の方が、何か知りたくてここに来たのなら、

ごめんなさい。

 

よくあるバブルの時代の、こんな感じだったよ。という思い出話。

若干就職活動の際の、会社VS学生の話も最後にあるので、

よければそこだけでも。

 

私はまさにバブルの時代に大学卒業と就職を経験した年代である。

そのころは、青田買いなんて言う言葉は当たり前。

大卒は女子でも4年大学を卒業していると引く手あまただった。

 

とはいえ私は、有名大学卒業ではなく、

関西地方の人にしか知られていない程度の中堅かややその下あたりのレベルの

4年大学を卒業した。

学部も、なーんのスキルもつかないようなあの当時よくあった国際系。

せめて役立つ中国語とか英語とかを身につけていれば

就職に役立ちそうなものだが、残念ながら英語はからっきしだめ。

学んだのは東南アジア系の言語で、それも本当に簡単な日常会話レベル。

 

それでも男女雇用平等均等法だので、求人はいっぱい学校に届いていた。

言語もだめ、勉強もたいしたことないのに、なぜかそのころは強気で

有名どころのシステムエンジニアに応募してみたり、

外食産業の会社に乗り込んでみたりといろんなところに無謀にも頭をつっこんだ。

 

結果としては、全国的にもまあ知られている地方百貨店の内定をとりつけたが、

このレベルの私でも、内定ではなく内々定という早めの抑えみたいなので

会社がとってくれた。

 

本社に呼び出され、何かと思ったら内々定

その足で、ちょっとお高いステーキのお店に直行。

お偉い方々と一緒にお食事をする。というコースが待っていた。

 

いまどきの大学生、内定もらってステーキなんてありえんでしょ。

 

だってステーキくらいたいしたことなくて、

リゾートに連れて行かれて(まあ囲い込まれてほかの会社にいけないようにされて)

接待をうけたりするなんて、珍しくない時代ですもの。

 

ただ、今みたいに、真っ黒いスーツでみーんな同じに見えるような

就職活動ではなくて、スーツの色もいろいろ。

テレビ局の試験をうけにいくと、派手派でしくも女子アナ狙いとわかるような

きれいな同級生がいっぱいいたり。

就職活動も華やかかかりし時代だった。

 

話は戻るが、某百貨店の内定までには実はいろんなトラップがしかけられており、

それをクリアしての内定だったことは憶測だが間違いない。

 

トラップ1 わざと違う時間を指定して先輩との約束をとりつけてあった。

 14時にといわれたはずなのに、実は先輩は13時に来ていて、待ち合わせ場所には

 もういない。というトラップがあった。

 たぶん、トラブルがあったときにどう対処するかが見られていたのだと・・・。

 結果としてはあわてて会社に行き、(当時は携帯とかメールとかなかった)

 お詫びを伝え、言い訳はせず自分が間違ったのではないかと伝えた。

 きっと正解だったのだと思う。

 

トラップ2 突然お盆に本社(新幹線で行く距離)に呼び出された。

 休みだのなんだの関係ない業界なので、お盆でもすぐに対応するかどうかを

 試されたのであろうと思う。

 もちろん、四の五の言わずお盆に行きましたよ。

 この場で内々定となりました。

 

こういう会社としても少し学生をキツイ目に(?)あわせつつも

会社としてこの学生が対応力があるのかを見極めることはしていたのだと思う。

誰でもよかったわけではないし、やっぱり無理だとやめられてもこまるし。

 

楽して簡単に就職を手にしたわけじゃない。

けれど、企業としても人手はほしい。なるべくいい人材がほしい。

そういう駆け引きはありつつ、それに対応できる力があるものだけが、

やはりバブルの恩恵をうけたのかもしれないと、いまさら感じるお話。

小泉今日子 という生き方

小泉今日子さんのさまざまな略歴や、

いま話題となっていることの内容は誰もがご存知だろうから省略する。

 

今回のことを、

 

小泉今日子らしい。

さすがキョンキョン

いさぎいい。

なんか覚悟が感じられる。

カッコいい。

 

と持ち上げる方向に若干シフトしつつあるように思う。

 

やったことが正しいとか正しくないとか、

そんなことは人それぞれ感じ方の違いもあるだろう。

 

しかし、なんとなくマスコミ報道やネットの方向性が

いつしか同じ方向に誘導されて、

それが一番の正論 あるいは多数派というふうにもって行かれるのが

とてもいやだ。

 

それはたしかに、小泉今日子という人間の生き方であることは間違いないが、

それを論じる人は必要ないし、

どこかに着地点をきめなければならないことでもない。

 

夫のある人と恋愛することは

非難されることであろうし、法律上は加害者側となる。

しかし、多くの人間の中には、あっち側になる人、こっち側になる人が必ずいて、

小泉今日子ただひとりがその立場にいるわけじゃない。

 

同じような境遇にいる人がすべて

小泉今日子と同じではないし、

全員が全員違って当たり前。

 

なのに、なるほど小泉今日子は正論。

なんとなく理解できる的な着地点をつくろうとするのはおかしくないか。

 

という話である。

 

つかわれない機能と的外れな論争

ドラム式洗濯機に小さな子供が閉じ込められて亡くなってしまう。

いたましい事故がまた起きてしまった。

 

洗濯機に入り? 5歳児窒息死 (ホウドウキョク) - Yahoo!ニュース

 

チャイルドロック使われず ドラム式洗濯機で5歳児死亡 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

チャイルドロック機能がついていたにもかかわらず、使っていなかった。

 

子供はこういった穴倉のようなところに興味を持つ。

もしかして親がみているときに、洗濯機に近寄ったことはないかもしれないが、

そういった危険性をしっかりと考えた上でメーカーはチャイルドロック機能を

装備している。

大人や危険がわかる年代にはまったく必要もない機能だ。

 

なぜ、使わない?

 

こういう事故があると、購入するときに店で説明を受けなかった。

などという的外れな論争がはじまる。

 

子供を危険から守るのは誰の役目?

 

そもそも、ほんの数年前に同じような事故があり、

同年代の子供がいるのであれば、危険があるのではと当然考えるべき。

 

洗濯機だけではない。

自宅の中は危険だらけなのだ。

 

まさか?と思うようなことまで想定しておくのが親の務め。

 

今一度、しっかりと子供の生活している場所を再確認してほしい。

 

貧困家庭・奨学金の問題。心の貧困さというはなし。

最近、貧困により進学したくてもできない子供が多いとか

貧困は貧困を生むとか

奨学金を借りなければ進学できないのは間違っているとか

 

そういう声をよく聞く。

 

www.excite.co.jp

 

この、諏訪原という青年も、記事によると

大学に行くなら多額の奨学金を借りる必要があった。大学を出ても食いっぱぐれないように、緻密に計算をしながら、人生設計しないと路頭に迷ってしまう。

と考えたとある。

 

結果として好きにさせてもらって、奨学金が1千万を超えた。

とも言っている。

 

最初の「緻密に計算しながら人生設計」という部分がいつのまにか

抜け落ちている。

 

お金持ちであれば、計算せず人生設計せず好きに生きてよいということではない。

 

お金があろうと、なかろうと、人生設計をして計算して生きていく。

そのことは必要である。

 

親が十分な学費が払える経済力がなければ、

自分で考え、親と相談し、どこかで道を模索して、

できること、できないことを精査して生きていくのが正しいのであって、

親が好きなだけお金をだしてくれないから、

今、奨学金を背負って大変です。

というのはあまりにも身勝手である。

 

極端な話をすれば

医者になりたいと子供が言うが、親はそれほどの学費を出す財力はない。

じゃああきらめるしかないか。

 

あきらめず親と相談し、バイトをし、奨学金を借りながら夢を実現するか。

医者は無理でも医療に携わる仕事につけるよう経済力と相談しながら生きるか。

 

それを選択することが人生の選択ではないのだろうか。

お金がない。医者になりたい。なれないのはお金がない親のせい。

裕福ではない家庭の子供は好きに学ばせてくれないのは国のせい。

 

なんでもかんでも国のせいだ。

 

そういわれて、えー。そうなのかなとグズグズと人気取りのために

がんばりもしない、人のせいにしかしない一部の人間のためにまで

お金をつかう政府も政府だ。

 

がんばっている人にはもちろん、それだけの支援をしてもらいたい。

 

けれど、がんばらないけど大学にはいきたい。

お金はないけど自分でどうするかあんまり考えてないよ。

だけど、国が何とかしてよ。

見たいな人に、そこまでするほど、この国は優しい(ぬるい)のか。

 

身の丈にあった

 

ということばがある。

国民みんなが裕福な国なんてあるわけもなく、

格差があることはあたりまえなのに、

格差があるのはおかしい。

とたいした努力もしないままに、

声高々と恥ずかしげもなく言える、その心が貧困なのではないか。

 

まず裕福にすべきは、その心である。

 

発達障害が引き起こす人生の苦難にあわないため、小さな芽に気づく。

仕事の関係で、

発達障害のある子供たちとすごすことが多い。

 

具体的には、特別支援学級にいる子供たちや、

それに順ずる支援を受けている子供たちである。

 

実は今年になってから、仕事とは関係なく、

統合失調症を中心とする方々の施設でかなりの時間をすごすこととなった。

 

病院ではなく、いわゆる就労施設なので、

そこまで自力で来れている人であり、

状態は非常に悪いわけではない。

 

年齢は、10代~60代までで、

経歴もさまざまだが、話を聞いてみると

驚くほど高学歴の人が多く、大学生までは普通に過ごしてきた人がいたり、

その一方で、小学校や中学校のときにいじめにあって、

それから精神障害を発症しはじめたという人も多かった。

いじめにあった理由についてもたずねてみたが、

俗に言う「きまじめ」でそのために「要領よく立ち回れない」

という人が多い。

 

きまじめさの根本に発達障害によるものがある場合も多いようだった。

学術的なことや医学的なことはプロではないが、

小学校・中学校などの時期に精神障害の芽があるということは

珍しくはないのに、この時期にうまく対応してあげられなかったことが

そこから何十年も続く人生の中で、ずっとそのやっかいな精神障害

つきあわなくてはならないということが多いようだ。

 

大人の発達障害という言葉が最近はやりで、

発達障害」というワードをつければテレビの視聴率も上がり、

本もバカ売れするらしい。

 

最近テレビで

「その人が発達障害だとわかっていれば周りの人も対応が違っていただろう」

というコメントをしている司会者がいたが、

周りの、それも家族やそれと同等の人以外に

「わたし、発達障害なんですよ。」

という人がいるのだろうかと疑問を感じた。

 

発達障害かも。と思っても本人には聞けないのが現実だし、

その人について、だれかに「あの人発達障害じゃない?」なんていえるわけもない。

 

ワードだけが先に駆け足で走って行ってしまっている状態なのだ。

 

子供のうちから、もしかしてというときに、

学校・家庭などがしっかりと対応できるようになっていれば、

大人になって社会にでてから、あるいは結婚してから苦しむ人は減るだろうし、

さらには、そのためにうけたいじめが原因で、

うつ病やそれ以外の精神疾患になる人はきっと減るはずである。

 

まさかうちの子供がと親は思うだろうし、

私もきっとそう思うだろう。

 

けれど、あれ?と思ったときにしっかりとケアできる社会が育つことが

きっと日本の精神障害者を減らす一番の方法だと思う。

 

現在、政府は精神障害者を病院に長期間閉じ込めるのではなく、

社会の中でともに暮らすようにしましょう。という方向を打ち出している。

 

しかしそれは、長期入院している患者や地域にいる大人の患者を

中心としたもので、子供たちはあまり対象とはされていない。

 

理想論を言うのは簡単であるが、

これまで何百年も続いてきた精神障害者に対する対応を

ほいほいとよい方向にできるものでもない。

 

小さな芽が一生苦しむものになる前に、

もっとできることからはじめる必要があるのではないだろうか。

習った漢字しか使わないでください

小学生の子供がいるわたし。

 

小学校低学年のころ、

「ノートやテストに書く名前は習った漢字しか使ってはいけない」

という意味のわからない指示があった。

 

これが関東特有のものなのかどうか、

よくわからないが、どうも当たり前の指示らしい。

 

いまどき、自分の名前くらい全部漢字で書ける子供はいるし、

それが習っているかどうかじゃなく、自分の名前なんだし。

書かせてやれよ。

 

と当然思った。

 

ただ、近隣小学校をみても、デフォルトの指示のようだし、

まあ、細かいことでゴチャゴチャと文句いうのも。

ということで、子供には、

「学校ではそういうきまりだから、習った字だけね。

 それ以外ではわかる漢字は書こう」

と納得させた。

 

きっと、学校という混沌とした社会の中で

特に低学年ということであれば

 

きちっとした社会性を学習してくる子供

学習中心で学力をきちんとつけてくる子供

自然が一番と、ワイルドな環境で育ってくる子供

はだし、手づかみあたりまえで育ってくる子供

はたまた最近多いのが

ご両親のお仕事の都合で海外から来た子供

 

などさまざまな子供たちが公立小学校に集まってくる。

学習レベル、社会性レベル、言語レベル

それらはもちろん、均一ではなく、

もしかすると人生の同学年の中で一番差がついている状態かもしれない。

 

一年生で習う漢字が読める子もいれば

これからの子供もいる。

さらにいえば、いまどきのキラキラネーム流行で

まったく持って読めない名前の子供もいたりする。

 

だからこそ、まずは習った漢字をちゃんと使おう。

みんなが読める漢字から使っていこう。

というレベルの均一化が図られているのではないか。

 

できるのに使えないというジレンマを持つ子供もいるかもしれないが、

学校以外で使うのは自由だ。

 

学校では、みんな同じレベルでできる子できない子

一緒に学習する場なのだから、とりあえずは一緒に学ぼう。

 

問題は、

そのことをきちんと納得できるように説明できない

「学校側」の問題だけかもしれない。

スマホ育児 反対派

今日、夕方あるニュース番組で

スマホ育児》について取り上げていた。

 

取材に答えた親子の様子も流れていたが、

 

たまの休日、親子でランチ。

お店で注文してからお料理が運ばれるまでの10分。

おもむろにママがタブレットを子供に渡す。

英語の動画を見始める女の子。

 

「お料理がくるまで飽きちゃうので」

 

たった10分ですよ。

それが15分だったとしても、

なぜ家族でご飯を食べに来て、タブレット

 

たまの休日、家族そろってのランチですよね?

待つ間に普段のお話や、これから食べるお料理の話や、

ランチのあとのお買い物の予定や・・・

話して待つってできないんでしょうか。

 

そもそも、レストランという公共の場所で、

静かに(会話をするなら小さめの声で)待つ。

ということを教えるのも、大人の役割。

 

10分を静かに待てないだろうから、飽きないように

タブレットスマホ、ゲーム機を与える。

というその考えが「正論」とばかりに

恥ずかしげもなくテレビに出ている親がいる。

 

この子供、これからどう育つのでしょうか?

それを想像できないのでしょうか?

 

100%スマホ育児反対といっているわけではなくて、

たとえばちょっと手が離せないお料理中に、

動画をみせてあげるとか、

 

計算が苦手な子供に、アプリで楽しみながら算数に

親しんでもらうとか、

 

それをきちんと親の目の届くところで

管理しながら渡すことについてはまったく否定しません。

 

しかし、小学校に上がったくらいの子供の

レストランの待ち時間や、お出かけした先で、

タブレットスマホの画面しか見ていない子供を見ると、

ぞっとします。